ホームラン王の父(寺子屋ねっと)

寺子屋ねっと 第7回 村田裕文(セリーグ2年連続ホームラン王 
                         村田修一選手のお父様)

私は剣道をしていた
私は野球の経験がない
でも野球はおしえることはできると思った
わからないから勉強するしかないと思った
本を30冊・ビデオも買った
子供がやりたいことを応援していこう
子供と一緒に野球の勉強をした



小学3年生の頃から
野球は、勢門ベアーズではじめた
野球の練習では、ケンカばかりしていた
気に入らなければ、マウンドを蹴たくっていた

でもこういう部分は残していかないといけないと考えていた

この子の将来に役に立つ

村田はうまいけど使えません
代打、一回もなかった 
でも、車は毎回出した

王監督がしていたからピアノもやらしていた
「リズム感」

発表会の楽譜をもらってきて「こんなの千回ひいてもできん」と
楽譜をなげだした

一緒にならんで一回、二回とひいた

宿題のドリル、間違っていようが間違っていまいが、夫婦二人前に
座って何も言わずさせた

夫婦遅くまでケンカした

親としても我慢の時だった

手を出さずに時間を与えた
手を出さずにじっと我慢
3歳までが問答無用で教え込む
時間をかけて、仕方のない時には少し手を出す

我慢

高校は東福岡で、一年でレギュラー
柳川高校にエラーでサヨナラ負け
それ以降、「村田、おまえは走っとけ」
それが何ヶ月も続いた
それでも我慢して送り迎えした
周りの親御さん達もレギュラーじゃない

我慢

「松坂世代」

元はピッチャーだった

甲子園で横浜高校と戦い負けた

優秀防御率賞に選ばれる

その時はホームランバッターではなかった。
ピッチャーだからバッティングできない。

高校で日本代表にも選ばれた

ピッチング練習、横に松坂と新垣
両方とも150キロ
俺は、144キロ

俺、松坂にはなれない

俺、ピッチャーやめた


大学は、東京!!

東京に行かんと目立たない

どうして、3塁になったのか?

プロになる選手は使われないといけない

なぜ、横浜なのか?

25の背番号にこだわった
日大の25番は、打てないというジンクスをやぶったから
それとすぐに出たかったから
金は入ってから稼げばいい


帰ってくるとこういう話をよくする
年に一回正月だけ一週間しか帰ってこない


子供は自分で生きていく
私達は支えるだけだから

あなた達は、よく話あってくれた
自分は、次はこう次はこうと、やっていけるようになった

自分で目標をつくり、それをどうしたらクリアできるか
それを身につけさせてあげたかな

プロだから私たちとは違う
これから先は、どうなるかわからない
これから、どういう選手になれるか
私たちが、どれだけ支えられるか

夫婦としては、二人でけんかしてこれでやってこれた

こどもに、やれやれ言ってもしない

「子供の横で一緒にする」


振り返るとそばにいてくれた時が楽しかったー



これから子育てをする人、今、子育てをしている方の
手助けになればと思い話しました。

管理人コメント
正月、テレビの特番で村田選手を多く見ることができた。
正直、この文章をつくっていたこともあり、寺子屋でお父様の
話も聞いていたから、なんか本当にうれしかった。
すげーなーって。
管理人と同じ歳ですしね…

さて、約2年前に村田選手にお子さんが生まれたそうです。
だが、5月の出産予定が1月に生まれたそうで、
生まれたときの体重が712g。
2月からのキャンプのあいま、病院への繰り返しだったそうです。
現在は、元気に過ごしているのが奇跡と先生が言われるほど
大きくなられたそうです。
このこと、機に何かお役に立てることはないかと病院の先生に
相談したことから、未熟児の子供たちを全国から横浜球場に招待されたそうです。
村田選手が不安なときいろんなホームページをみて調べたそうで、
その恩返しだそうです。
村田選手のお父様も孫をとおしてすべてが大きく変ってきていると。

村田選手のブログもあるそうで子供さんの成長ものせているみたいです。
是非チェックしてみて下さい。

そして、村田選手のお父様の講演もやきやま大福で受け付けます。
いい話です。連絡下さい。


2009年1月17日 文・編集 柴田大輔



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